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源義弘 源 義弘(みなもと の よしひろ、生年未詳 - 天仁2年(1109年)は平安時代後期の武将。源義綱の長男、嫡男。母は藤原季定の娘。左衛門尉、検非違使。弟に義俊、義明、義仲、義範、義公、義直。 ==概要== 義弘が白河院の判官代となっていた天仁2年(1109年)、河内源氏の棟梁であり、従兄弟でもある源義忠が暗殺されるという事件(源義忠暗殺事件)が発生し、父である義綱と弟義明、義明の乳母夫で滝口の武士である藤原季方がその暗殺犯とされ朝廷から嫌疑を受けた。義綱はこれに怒り、義弘をはじめとする5人の兄弟達もこれに抗議の意を込めて父子そろって近江国甲賀山(鹿深山)へ立て籠もるという行動をとった。その際、義明は病の為行動を共にせず、藤原季方邸に籠った。 こうして甲賀山に入った一行ではあったが、棟梁を継いだ義忠の甥源為義が白河院からの追討命令を受けた上、義綱の弟であり真犯人である源義光が為義の後押しをするに及んで甲賀山攻撃を開始すると義綱方は各所で敗退し、ついに義綱は降伏しようと言い出した。しかし、それに納得できない兄弟たちは抵抗し、義弘は義綱に切腹するように言い寄った。それでも義綱は投降しようとしたので義弘は父に範を示そうと兄弟たちの中で真っ先に自害することにし、高い木に登ってそこから谷底に飛び降りて投身自殺した。その後、他の兄弟も次々と自害していき、残された義綱は為義に投降して佐渡に流された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源義弘」の詳細全文を読む
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