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源義忠暗殺事件 : ウィキペディア日本語版
源義忠暗殺事件
源義忠暗殺事件(みなもとのよしただあんさつじけん)は、狭義では天仁2年(1109年)2月3日に源義忠が襲われて2日後に死去した事件。広義ではその事件から源義綱父子の追捕と義綱の佐渡への配流をいう。
==概要==

===源義忠暗殺===
嘉承元年(1106年)7月1日に河内源氏の棟梁源義家が没すると、河内源氏の棟梁は義家の三男義忠が継いだ。それから3年後の天仁2年(1109年)2月3日夜、義忠は何者かに斬りつけられ、2日後に死亡してしまった。
犯人は美濃源氏源重実とされ左大臣源俊房の邸内で検非違使によって逮捕されたが無実であるのが判明した。すると、今度は義家の弟である源義綱とその三男の源義明が犯人、黒幕であると目されて朝廷から嫌疑を受けた。なぜこうなったかと言うと義忠に大けがを負わせた刀が現場に残されており、これが義明のものだと判明したからである。そして、その実行犯は義明の乳母夫であり滝口の武士である藤原季方であると決めつけられた。
義綱はこれに怒った。嫡男義弘をはじめとする5人の息子達もこれに怒り、抗議の意を込めて父子そろって義綱の弟源義光の所領である近江国甲賀郡の甲賀山(鹿深山)へ立て籠もるという行動をとった。その際、義明は病の為に皆と行動を共にせず、藤原季方の館に籠った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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