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源舒 : ウィキペディア日本語版
源舒[みなもと の のぶる]
源 舒(みなもと の のぶる、天長9年(832年)〔『日本三代実録』の享年50による。『公卿補任』では享年54とし、逆算すると天長5年(828年)生まれとなる。〕 - 元慶5年11月29日881年12月23日))は、平安時代前期の公卿嵯峨源氏参議源明の長男。官位正四位下参議西七条宰相と号す。
== 経歴 ==
仁明朝において蔵人を務めたのち、承和14年(847年)無位から従五位下直叙される。文徳朝では、斉衡2年(855年美濃権守天安2年(858年雅楽頭を歴任する。
文徳天皇の崩御後まもない同年9月に左兵衛権佐に任ぜられると、同年11月の清和天皇即位に伴い従五位上に叙せられる。清和朝では、貞観5年(863年左近衛少将、貞観10年(868年左近衛中将、貞観13年(871年蔵人頭、貞観16年(874年右大弁と文武の要職を兼ねる一方で、貞観6年(864年正五位下、貞観9年(867年従四位下、貞観15年(873年)に従四位上と順調に昇進を果たす。貞観17年(875年)には参議に任ぜられ公卿に列した。またこの間の貞観14年(872年)には、渤海国大使・楊成規らが平安京に入京した際、勅使として鴻臚館に赴き、渤海国王・大玄錫の親書及び献上品の毛皮などを実検し受け取っている〔『日本三代実録』貞観14年5月18日条〕。
元慶元年(877年)に正四位下左大弁に叙任され、陽成朝でも引き続き近衛中将に大弁と文武の顕職を務める。元慶3年(879年)に官人の給与に充てるために畿内諸国に計4000町の官田が設置(元慶官田)された際には、山城国班田使を務める〔『日本三代実録』元慶3年12月8日条〕。
元慶5年(881年)2月に左大弁を去り、9月には左近衛権中将から右衛門督に転じたのち、同年11月に薨去享年50〔。最終官位は参議正四位下行右衛門督兼讃岐守

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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