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源 行宗(みなもと の ゆきむね)は平安時代後期の公卿。歌人。参議・源基平の子。 == 経歴 == 康平7年(1064年)に参議・源基平の子として生まれるが、同年中に父が死去する。 承保元年(1074年)11歳で従五位下に叙爵され、皇太弟実仁親王の昇殿を聴される。永保3年(1083年)侍従に任ぜられ、次いで昇殿も聴されて白河天皇に接近した。応徳2年(1085年)に実仁親王が薨去しているが、応徳3年(1086年)従五位上に進み、堀河天皇の即位後の寛治元年1月(1088年1月)右兵衛佐に任ぜられた。 寛治5年(1091年)正五位下、寛治8年(1094年)従四位下に進み、院昇殿を聴されて引き続き白河上皇の身辺に仕える。嘉保2年(1095年)に従四位上に進みむが、その後しばらくは昇進が停滞した。 元永3年(1120年)に修理権大夫に任官し、保安3年(1122年)に鳥羽天皇の昇殿を聴される。保安4年(1123年)には正四位下・近江介に叙任され、鳥羽天皇の退位後は新帝崇徳天皇の昇殿も聴された。同じ時期に待賢門院藤原璋子の昇殿も聴されて、保延5年(1139年)には女院の御給で従三位に叙せられて76歳で公卿に列した。大蔵卿・越前権守を兼帯。 康治2年(1143年)2月16日に出家し、同年12月24日に薨去。享年80。歌人としても活躍し、家集に『行宗集』がある。源師頼、源顕仲、源師時、源国信、源俊頼らとの交流が知られ、『金葉和歌集』以下の勅撰和歌集には27首が入る〔『和歌作者部類』。〕。また、漢詩も作ったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源行宗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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