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源雅実 : ウィキペディア日本語版
源雅実[みなもとまさみ]

源 雅実(みなもと の まさざね)は、平安時代後期の公卿源顕房の長男。久我家の祖。源氏初の太政大臣まで昇進したほか、舞楽文学に長じた文化人としても名を残す。『久我相国記』を著す。
== 生涯 ==
治暦2年(1066年)に童殿上(貴族の子弟が殿上で見習いの奉仕をすること)を許される。翌年の治暦3年10月に後冷泉天皇の御前で『胡飲酒』を舞い、御衣を賜ったことは後年長く語り伝えられた。治暦4年(1068年)に従五位下に叙され、侍従右近権少将・右近権中将などを経て、承保2年(1075年)に白河天皇蔵人頭に補任される。承暦元年(1077年従三位に昇進し、さらに同年12月3日に参議に任ぜられる。その後、権中納言・権大納言を経て、康和2年(1100年内大臣に任ぜられる。永久3年(1115年右大臣になり、保安3年(1122年)に太政大臣に昇った。これは源氏の太政大臣補任の初例である。しかし天治元年(1124年)病になったため、同年7月7日出家して法名を蓮覚とした。大治2年2月15日、69歳で薨去。同年2月17日、遺体は久我(山城国愛宕郡)の山荘に移され、2月23日に久我の西辺に葬られた。
白河天皇が寵愛した中宮藤原賢子の同母弟・堀河天皇の外叔父として朝廷で重きをなし、当時治天の君として朝廷の権力を掌握していた白河院や、関白藤原忠実にもはばかることがなかったという(『今鏡』)。雅実が薨去した際、同時代の人は「現世の昇進すでに万人を超え、入滅の時釈尊と同日なり、誠に是れ現当二世相叶ふ人か」(『中右記』)などと評していることからも、当時の雅実の名声の高さが伺える。
舞楽に優れ、秘曲『胡飲酒』を伝える楽家の多資忠が変死したとき、堀河天皇が『胡飲酒』を伝受していた雅実に命じて、資忠の子の忠方に伝えさせた逸話は各種の説話集〔『古事談』『続古事談』『古今著聞集』〕や楽書〔『教訓抄』『体源抄』『雑秘別録』〕に記されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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