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源雅言 : ウィキペディア日本語版
源雅言[みなもと の まさとき]

源 雅言(みなもと の まさとき)は鎌倉時代中期から後期の公卿。正二位権大納言権中納言源雅具の長男。母は土御門院播磨局(花山院家の家司・高階業国の娘)〔本郷和人『中世朝廷訴訟の研究』、廷臣小伝。〕。
== 経歴 ==
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
嘉禎4年(1238年)6月7日、叙爵。仁治元年(1240年)9月26日、侍従に任ぜられる。仁治3年(1242年)3月15日、従五位上に昇叙。寛元元年(1243年)1月23日、左少将に任ぜられる。寛元4年(1246年)1月7日、正五位下に昇叙。宝治2年(1248年)1月23日、甲斐権介を兼ねる。建長5年(1253年)1月13日、讃岐権守を兼ねる。建長6年(1254年)1月13日、右少弁に任ぜられる〔父雅具が権中納言を辞した時の挙任。〕。康元元年(1256年)2月22日、正五位上に昇叙。正嘉元年(1257年)11月19日、左少弁に転任。正嘉2年(1258年)1月13日、権右中弁に転任し、同日に従四位下に昇叙。同年11月6日、従四位上に昇叙。正元元年(1259年)1月6日、正四位下に昇叙〔正親町院当年御給。〕。同年閏10月15日、右京大夫を兼ねる。弘長元年(1261年)3月27日、右中弁に転任〔喪に服している中であった。〕。同年9月26日、右宮城使に補される。弘長2年(1262年)12月21日、右大弁に転任し、同日に正四位上に昇叙〔石清水賀茂に行幸の行事賞。〕。同月26日、右京大夫は元の如し。弘長3年(1263年)8月30日、母の喪が明けて復任した。文永元年(1264年)6月6日、蔵人頭に補される〔右大弁と右京大夫は元の如し。〕。文永2年(1265年)閏4月25日、左大弁に転任。同年5月26日、造東大寺長官を兼ねる。
文永3年(1266年)2月1日、参議に任ぜられる。左大弁は元の如し、右京大夫を辞す。文永4年(1267年)2月1日、備中権守を兼ねる〔この年、従三位に昇叙か。〕。文永5年(1268年)12月2日、権中納言に任ぜられる。同月25日、勅授帯剣を許される。文永6年(1269年)1月5日、正三位に昇叙〔院当年御給。〕。文永7年(1270年)1月21日、権中納言を辞退〔息男雅憲を五位蔵人に挙任のため。〕。同日、按察使に任ぜられる。同月23日、本座を許される。12月4日、従二位に昇叙。
文永10年(1273年)12月8日、太宰権帥に任ぜられる。建治元年(1275年)1月6日、正二位に昇叙。建治3年(1277年)9月13日、権帥を辞す。飛騨国を相続する。弘安5年(1282年)4月8日、民部卿に任ぜられる。弘安7年(1284年)8月11日、権大納言に任ぜられる。同年10月10日、権大納言を辞す。同月12日、本座を許される。正安2年(1300年)10月26日、薨去。享年74。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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