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源雅頼 : ウィキペディア日本語版
源雅頼[みなもとまさよりゆき]

源 雅頼(みなもと の まさより)は平安時代後期の公卿歌人権中納言源雅兼の三男。または四男。
== 経歴 ==
天承元年12月(1132年1月)に大膳亮に任ぜられる。天承2年(1132年式部少丞を務め、長承2年(1133年)7歳で従五位下叙爵
長承4年(1135年治部大輔に任ぜられる。保延7年(1141年)大輔の功績により従五位上に叙せられ、久安5年(1149年)には正五位下に昇叙。久寿2年(1155年五位蔵人に補任された。久寿3年(1156年左近衛少将となり、保元2年(1157年従四位下権右中弁に叙任。保元3年(1158年)には左中弁に転じ、装束使を務めた。
保元4年(1159年)従四位上・伊勢権守に叙任される。永暦元年(1160年)には正四位下・右大弁に叙任され、二条天皇蔵人頭に補任された。応保3年(1163年遠江権守を兼ね、長寛2年(1164年参議に任ぜられて公卿に列す。永万元年(1165年)に入って左大弁・勘解由長官を兼帯している。仁安2年(1167年従三位備中権守となり、仁安3年(1168年正三位に叙せられた。
仁安4年12月(1170年1月)権中納言に任ぜられる。治承3年(1179年治承三年の政変の1日後である11月18日に権中納言を辞しているが、解官されたかどうかは不明。治承5年(1181年従二位に叙せられ、寿永2年(1183年正二位に至った。
源頼朝の近習である中原親能が雅頼の家人で、その妻が次男・兼忠乳母であったため、治承4年(1180年)に頼朝が蜂起した後は頼朝の意思の伝達者として、京と鎌倉、特に九条兼実との間の仲介をした。
文治3年(1187年)、妻の病により出家し、建久元年(1190年)8月3日、64歳で薨去した。有職故実に通じて、多くの文書・日記類を所蔵。『水鏡』の作者にも擬せられている。摂関家藤原忠通・兼実父子と親交が深く、密接な繋がりがあった。承安3年(1173年)には、兼実と朝議の有職についてを論じている。また、和歌にも長じて、『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に七首が入集する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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