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源頼平 : ウィキペディア日本語版
源頼平[みなもと の よりひら]
源 頼平(みなもと の よりひら、生没年不詳)は、平安時代中期の武将官人源満仲の四男。母は嵯峨源氏近江源俊女。同母兄弟に頼光源賢、異母兄弟に頼親頼信らがある。一説に兄頼光の養子となったり、従兄弟頼季(満快の子)と同人物ともされる。従五位上加賀介、武蔵守
頼光と同様、主に京における中級官人として活動する。長元4年(1031年)には正倉率分所別当の候補に名が上がるも、これを辞退したとの記録が残っている(『小右記』)。その後出家したとされ、兵庫県宝塚市普明寺は頼平の開山と伝わる。
藤原惟風藤原北家長良流)の娘を娶って長男従五位下伊豆柏原頼盛、次男・従五位上土佐檜坂忠季を儲けたほか、源頼風祇園別当阿闍梨永壽園城寺博士頼増四天王寺別当頼昭らの子があった。
また、女子は三名が確認され、源資通藤原季仲源清政の室となっている。子孫は柏原氏檜坂氏匂当氏などを称すが、三人の兄の家系ほどの活躍は見られない。なお忠季の子忠尋天台座主大僧正となり、天台宗の発展に功績を挙げている。
== 関連項目 ==

* 普明寺


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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