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源頼政の挙兵 : ウィキペディア日本語版
以仁王の挙兵[もちひとおうのきょへい]

以仁王の挙兵(もちひとおうのきょへい)は治承4年(1180年)に高倉天皇の兄宮である以仁王と、源頼政が打倒平氏のための挙兵を計画し、諸国の源氏や大寺社に蜂起を促す令旨を発した事件。
準備不足のために露見して追討を受け、以仁王と頼政は宇治平等院の戦いで敗死、早期に鎮圧された。しかしこれを契機に諸国の反平氏勢力が兵を挙げ、全国的な動乱である治承・寿永の乱が始まる。以仁王の乱源頼政の挙兵とも呼ばれる。
== 背景 ==
保元の乱平治の乱を経て平清盛が台頭し、平氏政権が形成された。仁安2年(1167年)には清盛は太政大臣にまで登りつめる。承安元年(1171年)、清盛は娘の徳子高倉天皇に入内させた。平氏一門は知行国支配と日宋貿易で財を増し、10数名の公卿殿上人30数名を占めるに至る。『平家物語』に云う、「平家にあらずんば人に非ず」の全盛期となった。
これには朝廷内部でも不満を持つものが多く、嘉応2年(1170年)には摂政松殿基房平重盛との間で暴力沙汰に発展した紛争が起きている(殿下乗合事件)。治承元年(1177年)には鹿ケ谷の陰謀が起き、藤原成親平康頼西光俊寛ら院近臣多数が処罰され、後白河法皇も事件への関与を疑われた。
治承2年(1178年)11月、中宮徳子は言仁親王を産み、直ちに立太子された。
治承3年(1179年)11月、近衛家の所領継承問題に端を発し、ついに清盛は兵を率いてへ乱入してクーデターを断行。法皇は鳥羽殿に幽閉され、関白・基房は解任・配流、院近臣39名が解官された(治承三年の政変)。
そして治承4年(1180年)2月、高倉天皇は譲位し、中宮徳子の産んだ言仁親王が即位した(安徳天皇)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Battle of Uji (1180) 」があります。



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