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源頼義 : ウィキペディア日本語版
源頼義[みなもと の よりよし]

源 頼義(みなもと の よりよし)は、平安時代中期の武士河内源氏初代棟梁・源頼信の嫡男で河内源氏2代目棟梁。
== 生涯 ==

=== 源氏の御曹司 ===
頼信の嫡子として河内国古市郡壺井村(現・大阪府羽曳野市壺井)の香炉峰の館に生まれる。弓の達人として若い頃から武勇の誉れ高く、今昔物語集などにその武勇譚が記載される。父・頼信もその武勇を高く評価したといわれ、関白藤原頼通に対して長男・頼義を武者として、次男・頼清を蔵人としてそれぞれ推挙したという(『中外抄』)。
長元元年(1028年)6月、かつて父・頼信の家人であった平忠常が関東において反乱(平忠常の乱・長元の乱)を起こすと、長元3年(1030年)に朝廷より命じられて父とともに忠常討伐に出陣する。それまで国府軍や官軍を大いに打ち破ってきた忠常であったが、武勇に優れた頼信・頼義親子が追討軍として派遣された事を知ると大いに驚き、瞬く間に朝威に服したと謂われる。頼義はこの反乱平定に際して抜群の勇決と才気を示す活躍をしたとされ、乱後、小一条院敦明親王の判官代として勤仕し、狩猟を愛好したと伝わる小一条院の側近として重用されている。その一方、官位昇進の面では父・頼信に蔵人(官吏)として推挙された次弟・頼清に遅れをとり、頼義が相模守として初めて受領に任じられるのは、頼清が安芸守として受領に任じられた5年後の長元9年(1036年)の事である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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