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源 顕仲(みなもと の あきなか)は、平安時代後期の公卿、歌人。村上源氏、右大臣・源顕房の子。 == 経歴 == 篤子内親王に仕える。周防守、尾張守などを歴任したのち、寛治元年(1087年)従四位上、寛治2年(1088年)正四位下に叙せられ、寛治5年(1091年)頃に丹波守、寛治7年(1093年)刑部卿に任ぜられる。 康和4年(1102年)従三位・左京大夫に叙任されて公卿に列す。長治2年(1105年)越前権守を兼任。保安3年(1122年)には神祇伯を兼ねる。20年に亘って務めた左京大夫を辞任して保延4年(1138年)薨去。享年81。康平7年(1064年)生ともいわれる。その場合75歳没。豊原公里に習い笙をよくしたという〔『今鏡』。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源顕仲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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