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溝口勝如[みぞぐち かつゆき] 溝口 勝如(みぞぐち かつゆき、生没年不詳)は、幕末の江戸幕府旗本。通称、八十五郎。伊勢守。子に友三郎(末子、溝口勝為養子)ら。石高2,500石。
== 経歴 == 小普請組、中奥番士、使番、目付と昇進する。文久元年(1861年)ロシア軍艦対馬占領事件では外国奉行小栗忠順とともに折衝に当たった。慶応元年(1865年)長州征伐に陸軍奉行として従軍し、京で陸軍奉行並、勘定奉行(慶応3年1月16日 - 12月28日)を歴任し、田安家の家老となった。明治25年(1881年)親交のあった勝海舟は、長男の小鹿が没した為、徳川慶喜の末子精を養嗣子にしたい〔「我家相続の事、書付、溝口へ附し、徳川家差し出す」(海舟日記、2月9日、小鹿が没した2日後)、「溝口勝如、 拙勝氏の家、儀、死後、慶喜御末男を以て 御続の事、御許これあり、溝口大に骨折ら るニ因る」(海舟日記・2月17日)〕と願い勝如はこれをまとめた。没年は不詳。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「溝口勝如」の詳細全文を読む
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