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溝口 直経(みぞぐち なおつね、寛保3年10月15日(1743年11月30日) - 寛政10年8月8日(1798年9月17日)は、越後国新発田藩7代藩主・溝口直温の三男(『寛政重修諸家譜』では長男)。母は大河内松平信祝の娘。幼名は亀之助。通称は式部、のち左京。諱ははじめ直韶、のち直経と改める。 正室所生のため、はじめ嫡子とされたが、宝暦10年(1760年)に廃嫡された。代わって、庶兄の直養が世子となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「溝口直経」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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