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滋野井公光 : ウィキペディア日本語版
滋野井公光[しげのい きんみつ]

滋野井 公光(しげのい きんみつ)は鎌倉時代初期から中期にかけての公卿権大納言滋野井実宣の二男。
== 経歴 ==
嘉禄2年(1226年)兄の公賢が父と妻について対立し、出家してしまったため急遽公光が嫡男とされた。嘉禄3年(1227年従五位上に叙せらる。安貞2年(1228年侍従に任じ、寛喜2年(1230年正五位下に進む。寛喜3年(1231年従四位下右近衛少将に叙任された。
寛喜4年(1232年)従四位上・近江権介に叙任。天福元年(1233年皇太后権亮に任ぜられる。文暦2年(1235年正四位下・右近衛中将に叙任され、美濃権介を兼ねる。延応元年(1239年)に蔵人頭に補任された後、仁治元年(1240年従三位参議に叙任され公卿に列し、右近衛中将・備前権守右衛門督・近江権守を兼任する。仁治3年(1242年)には正三位に叙された。
仁治4年(1243年権中納言に任ぜられる。寛元2年(1244年)勅授帯剣。寛元4年(1246年従二位に昇叙され、建長2年12月(1250年1月)中納言に転任する。建長3年(1250年)には正二位に至った。
建長6年(1254年)に中納言を辞退し、建長7年(1255年)11月9日に出家し、10日に薨去享年33。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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