|
滋野井 実冬(しげのい さねふゆ)は鎌倉時代初期から後期にかけての公卿。滋野井公光の長男。 == 経歴 == 寛元3年(1245年)従五位下に叙爵。宝治元年(1247年)従五位上・侍従に叙任され、建長元年(1249年)左近衛少将に任ぜられた。 建長2年(1250年)正五位下に叙せられる。建長3年(1251年)美作介を兼ね、建長4年(1252年)従四位下に昇叙。建長7年(1255年)には従四位上に進み、建長8年(1256年)左近衛中将に転じた。康元2年(1257年)近江介を経て、正嘉2年(1258年)正四位下に叙せられる。文永8年(1274年)右近衛中将に遷り、蔵人頭に補任。文永10年12月(1274年1月)参議に任ぜられて公卿に列した。 文永11年(1274年)従三位・右兵衛督に叙任。但馬権守を兼ねる。建治元年(1275年)左兵衛督に遷り、建治3年(1277年)には正三位・権中納言に叙任された。同時に右衛門督・検非違使別当を兼帯する。弘安元年(1278年)従二位、弘安6年(1283年)には正二位に叙せられた。弘安7年(1284年)右衛門督を辞退する。 弘安9年(1286年)権中納言を辞退し、本座を聴される。弘安10年(1287年)には中納言となり、正応元年(1288年)ついに権大納言に任ぜられた。 同年10月に権大納言を辞職。11月に本座を聴され、翌正応2年(1289年)11月に出家した。出家直前の9月13日、西園寺公子が春日社に行啓した際にはこれに供奉している〔『吉続記』正応2年9月13日条。〕。乾元2年(1303年)5月27日薨去。享年61。実冬を『本朝書籍目録』の編者とする説がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「滋野井実冬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|