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滋野井実冬 : ウィキペディア日本語版
滋野井実冬[しげのいじつふゆ]

滋野井 実冬(しげのい さねふゆ)は鎌倉時代初期から後期にかけての公卿滋野井公光の長男。
== 経歴 ==
寛元3年(1245年従五位下叙爵宝治元年(1247年)従五位上・侍従に叙任され、建長元年(1249年左近衛少将に任ぜられた。
建長2年(1250年正五位下に叙せられる。建長3年(1251年美作介を兼ね、建長4年(1252年従四位下に昇叙。建長7年(1255年)には従四位上に進み、建長8年(1256年)左近衛中将に転じた。康元2年(1257年近江介を経て、正嘉2年(1258年正四位下に叙せられる。文永8年(1274年)右近衛中将に遷り、蔵人頭に補任。文永10年12月(1274年1月)参議に任ぜられて公卿に列した。
文永11年(1274年従三位右兵衛督に叙任。但馬権守を兼ねる。建治元年(1275年)左兵衛督に遷り、建治3年(1277年)には正三位権中納言に叙任された。同時に右衛門督検非違使別当を兼帯する。弘安元年(1278年従二位、弘安6年(1283年)には正二位に叙せられた。弘安7年(1284年)右衛門督を辞退する。
弘安9年(1286年)権中納言を辞退し、本座を聴される。弘安10年(1287年)には中納言となり、正応元年(1288年)ついに権大納言に任ぜられた。
同年10月に権大納言を辞職。11月に本座を聴され、翌正応2年(1289年)11月に出家した。出家直前の9月13日、西園寺公子春日社行啓した際にはこれに供奉している〔『吉続記正応2年9月13日条。〕。乾元2年(1303年)5月27日薨去享年61。実冬を『本朝書籍目録』の編者とする説がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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