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滋野貞主 : ウィキペディア日本語版
滋野貞主[しげの の さだぬし]

滋野 貞主(しげの の さだぬし、延暦4年(785年) - 仁寿2年2月8日852年3月2日))は、平安時代前期の公卿は宿禰のち朝臣。尾張・滋野家訳の子。官位正四位下参議
== 略歴 ==
大同2年(807年)に文章生に及第し、弘仁2年(811年少内記、弘仁6年(815年)に大内記に任官。弘仁11年(820年従五位下・兼因幡、翌弘仁12年(821年)従五位下・図書頭に叙任される。
弘仁14年(823年皇太子・正良親王の東宮学士に任ぜられ、また同年には父・家訳とともに宿禰姓から朝臣姓に改姓している。天長6年(829年)には従五位上に昇叙。また淳和朝では、漢詩集『経国集』20巻の編纂に参画し、古今の文書を分類した日本最古の百科事典秘府略』1000巻(現存2巻)を撰集している。
天長10年(833年)正良親王の即位(仁明天皇)に伴い正五位上と二階級の加叙を受けると、翌承和元年(834年)従四位下、承和6年(839年)従四位上と順調に昇進し、承和9年(842年)には参議に任ぜられて公卿に列した。またこの間、下総守・内蔵頭宮内大輔相模兵部大輔大和守・弾正大弼大蔵卿讃岐守・式部大輔勘解由長官と内外の多数の官職を歴任している。承和11年(844年)には私邸(城南宅)を寺として慈恩寺を建立した。貞主は座禅の合間に方々を巡り歩き、人々に慕われたという。承和12年(845年)「便宜十四事」を陳述。嘉祥2年(849年尾張守を兼ね次いで宮内卿に遷任。
嘉祥3年(850年文徳天皇の即位に伴い正四位下に叙せられ、同年相模守を兼ねる。仁寿2年(852年)口吻に毒瘡を病み、詔により医薬を賜与されるが、葬儀は質素に行うようにとの遺戒を残して、まもなく慈恩寺西書院で没する。その死が伝わると哀惜しない者はなかったと伝えられる。仁寿2年(852年)2月8日死去。享年68。最終官位は参議正四位下行宮内卿兼相摸守。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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