翻訳と辞書
Words near each other
・ 滋野宿祢
・ 滋野文夫
・ 滋野昌幸
・ 滋野村
・ 滋野氏
・ 滋野氏 (神別)
・ 滋野清彦
・ 滋野清武
・ 滋野清鴻
・ 滋野貞主
滋野貞雄
・ 滋野駅
・ 滋陰
・ 滋陰至宝湯
・ 滋陰降火湯
・ 滋陽県
・ 滋雨
・ 滋養
・ 滋養分
・ 滋養強壮


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

滋野貞雄 : ウィキペディア日本語版
滋野貞雄[しげの の さだお]
滋野 貞雄(しげの の さだお、延暦14年(795年) - 貞観元年12月22日860年1月18日)は、平安時代前期の貴族宿禰のち朝臣。尾張守・滋野家訳の三男。官位従四位上摂津
== 経歴 ==
右京出身。若い頃より大学で学び、詩賦に習熟する。弘仁7年(816年主殿少属に任ぜられ、掃部権允右衛門少尉を歴任するが、嵯峨天皇に召されて近侍しその恩寵を得る。のち、掃部助に転じ左近衛将監を兼ねる。この間の弘仁14年(823年)には父・家訳らとともに宿禰姓から朝臣姓に改姓している。
天長4年(827年)従五位下に叙爵。備前権介を経て、承和5年(838年)従五位上・備前守に叙任される。仁明朝で一時少納言侍従を務めたのち、丹波守・但馬権守・摂津守などを歴任するが、地方官としては特筆すべき治績は無かったという〔『日本三代実録』貞観元年12月22日条〕。またこの間、承和13年(846年正五位下嘉祥3年(850年従四位下貞観元年(860年)従四位上と累進した。
貞観元年12月22日卒去。享年65。最終官位は従四位上行摂津守。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「滋野貞雄」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.