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滕里野合倶録毘伽可汗 : ウィキペディア日本語版
滕里野合倶録毘伽可汗[とうりやこうくりょくびがかがん]
滕里野合倶録毘伽可汗(とうりやこうくりょくびがかがん、拼音:Ténglǐyĕhéjùlùpígākĕhàn、? - 808年)は、回鶻可汗国の第8代?〔一般的に滕里野合倶録毘伽可汗はその存在を疑われており、第8代可汗に認められておらず、専ら第8代は保義可汗となっている。〕可汗。氏名は不明。原音はテングリデ・アルプ・キュリュグ・ビルゲ・カガン(Täŋridä alp külüg bilgä qaγan)であり、意味は「天より勇猛にして誉れ高き賢明なるカガン」となる。
==生涯==
永貞元年(805年)、懐信可汗が死ぬと、鴻臚少卿孫杲に臨弔させ、後継ぎを冊立して滕里野合倶録毘伽可汗とした。
元和806年 - 820年)の初め、回鶻は再び朝献し始め、摩尼(マニ)を唐に至らせた。
元和3年(808年)、滕里野合倶録毘伽可汗は咸安公主の喪を唐に報告させた。咸安公主は四可汗に嫁ぎ、回鶻にいること21年間に及んだ。間もなくして滕里野合倶録毘伽可汗も死んだので、憲宗は宗正少卿の李孝誠に冊拜させて愛登里羅汨蜜施合毘伽保義可汗とした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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