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滝川一乗 : ウィキペディア日本語版
滝川一乗[たきがわ かずのり]
滝川 一乗(たきがわ かずのり、慶長7年(1602年) - 寛文5年1月14日1665年2月28日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将旗本滝川一時の長男。妻は戸田尊次の娘。子に滝川一俊滝川一守滝川一仲滝川一成
== 生涯 ==
慶長7年(1602年)、伊勢亀山1万4,000石の大名・滝川一時の長男として誕生。
父・一時は、徳川秀忠にも仕えていたが、慶長8年(1603年)に病死すると、一乗が幼少であったため江戸幕府により豊臣氏から与えられた1万2,000石は没収され、徳川氏から拝領した残る2,000石は叔父の一積が一乗が15歳になるまでの名代として引継ぎ、一乗にはうち250石が分与された。
ところが、一積は一乗が15歳になっても家督を返そうとしなかったため、元和2年(1616年)に青山忠俊に訴え出る。それを聞いた秀忠は、一乗が言うことも理ではあるが、まだ20歳未満であるため、番士の列に加えられるまでは一積が名代を務めるべきとし、とりあえず一乗は750石を加えられて持ち高は1,000石となった。その後、元和7年(1621年)に西の丸書院番士に列すると、父の遺領のことを再び申し出たものの、事情により延び延びとなり、結局果たされることはなかった。寛永10年(1633年)に200石を加えられて1,200石となる。寛永18年(1641年)に小姓組番士となる。
寛永5年(1665年)、死去。法名は紹祐。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「滝川一乗」の詳細全文を読む



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