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滝川幸辰 : ウィキペディア日本語版
瀧川幸辰[たきがわ ゆきとき]

瀧川 幸辰(たきがわ ゆきとき、1891年(明治24年)2月24日 - 1962年(昭和37年)11月16日)は、日本法学者法学博士。専門は刑法岡山県出身。京都帝国大学教授京都大学総長日本学士院会員。正三位勲一等瑞宝章
== 人物 ==
「汝の道を進め、人々をして語るにまかせよ」というダンテの言葉を信条としていた。瀧川の評伝を著した京都大学教授の伊藤孝夫は、瀧川は座右の銘のとおり自己の信念を貫きとおす人生を送ったと評している〔伊藤孝夫 2003年 298ページ〕。
少年時代に叔父から貰った『福翁自伝』をよみ感銘を受けている。その後も愛読し、京大総長時代の1957年(昭和32年)の入学式で福沢のエピソードを引いて告辞している〔伊藤孝夫 2003年 3-4ページ〕。
京大の法学部教授であった大石義雄は、滝川を「漱石の『坊ちゃん』そのままの性格」と評している〔伊藤孝夫 2003年 3ページ〕。
京大で新派刑法理論に立つ勝本勘三郎の刑法総論の講義を受け、1回生の期末試験で新派刑法理論を批判し、応報刑論で答案を書いた。勝本は瀧川の答案を2回生の刑法各論の講義に際し、学生達の前で読み上げ、「この答案はなかなかおもしろいが、自分の子供の頭を思い切り殴られたようで思い切った点数があげられなかった」と言って笑ったという〔内藤謙「瀧川幸辰」(法学教室158号74頁)〕。
滝川事件で大学を追われるが、第二次世界大戦後、大学に復帰、京都大学総長を務め、学生運動との対立事件を繰り返した。特に「第2次滝川事件」と呼ばれる学生による瀧川への「暴行」事件は有名である。なお総長が理系学部から選ばれる傾向の強い京都大学(および前身の京都帝国大学)では、現在のところ、瀧川が文系学部から選出された最後の総長となっている。
滝川事件後は立命館大学で講義を行なっていたが、その際新入生に対して、「困難に居てしかも、結果は人並いや人並以上なものを得るというのが、真に困難に処する道であります。諸君は決して自己弁解に陥ってはいけない。同情は人に対してするもので己に対してするものではありません」という言葉を送った。〔中山研一「ハーケン・クロイツの呪い」。 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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