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滝川忠征 : ウィキペディア日本語版
滝川忠征[たきがわ ただゆき]
滝川 忠征(たきがわ ただゆき、永禄2年(1559年)- 寛永12年2月2日1635年3月20日))は、木全忠澄の子。通称、彦五郎。初名は法忠。受領名、出雲守を名乗り、のちに従五位下豊前守に叙任。法名、前豊前守滝川大林宗機居士。室は南部兼綱の娘。兄弟に木全河内守、木全兵部、友田新右衛門。

==生涯==
はじめ滝川一益に仕えて滝川姓を許される。
天正10年(1582年)3月、一益が信濃国のうち二郡と上野一国を与えられるとこれに従い、上州新田に所領を持った〔『管窺武鑑』に新田の滝川豊前守と記載されている〕。
同年6月の神流川の戦いでは、本拠の厩橋城の守備を任された〔『上州治乱記』〕。
天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは関城を守り羽柴秀吉と戦った。
賤ヶ岳の戦いの後、滝川一益が所領を全て失うと豊臣秀吉に仕え、慶長2年(1597年)従五位下となりとなり豊前守に任ぜられた〔『名古屋市史 人物編 第1』〕。
関ヶ原の戦いの後、徳川家康に仕え、慶長15年(1610年名古屋城築城の奉行に名を連ねている。
元和2年(1616年)、徳川家康の遺命により徳川義直に属して家禄6000石を賜り年寄となる〔。
寛永12年(1635年)2月2日に77歳で病死し、南桑名町の大林寺に葬られた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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