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滝川益重 : ウィキペディア日本語版
滝川益重[たきがわ ますしげ]
滝川 益重(たきがわ ますしげ、大永3年(1523年)/天文17年(1548年) - 文禄元年(1592年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将滝川一益の一族。名は詮益(のぶます)とも。通称は儀太夫。
== 生涯 ==
織田氏の家臣・滝川一益の従兄弟とも甥ともいわれる。また、傾き者として知られる前田利益の父とする説があるが定かではない。荒武者といわれており、一益に従い甲州征伐などで活躍した。
天正10年(1582年)3月、一益が信濃国のうち二郡と上野一国を与えられ、上野の厩橋城を本拠地とすると、益重は城代として真田昌幸が明け渡した沼田城に入城した。同年5月23日、益重は滝川勢を率いて三国峠を越えようとしたが清水城主長尾伊賀守と樺沢城主栗林政頼に破れ、同25日には、猿ヶ京城に夜襲をうけたが撃退したと伝わる〔『越佐史料巻 6』 P.209-211(北国太平記より)〕。
同年6月2日本能寺の変織田信長が横死する。これを知った元沼田城代の藤田信吉は長尾伊賀守に使いを出して上杉景勝に通じて反乱を起こし、5千の兵を率いて沼田城を攻め水曲輪の一つを奪ったが、同月13日、益重は滝川一益の援軍を得てこれを撃退した。しかし滝川一益が同月19日、北条氏直との合戦(神流川の戦い)に破れ、伊勢国へ敗走すると益重もこれに従った〔千木良英一『戦国武将と神流川合戦』p.149-151(管窺武鑑より)〕。
天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いにおいて一益は柴田氏に与し、関盛信の留守に乗じ亀山城を奪い、峯城にいた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)派の岡本宗憲を駆逐すると、亀山城に佐治新介(のちの滝川益氏)、峯城に益重が入れられた。しばらくして両城は羽柴軍の猛攻を受け、峯城は兵糧攻めにより落城するが、その際の益重の奮戦振りを秀吉に称えられ、戦後は豊臣氏に仕え、小牧・長久手の戦い九州征伐などに従軍した。
文禄元年(1592年)に、死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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