|
瀧川 鯉かん(たきかわ りかん)は、落語家の名跡。現在は空き名跡となっている。滝川鯉かんとも表記。 ==初代== (生没年不詳) 若い頃から三味線を好じ文政末から天保の初め頃、旅回りの一座で上信越を巡業すること5年ほど伊香保で初代三升亭小勝に見出され客分弟子になって江戸の高座にあがるようになる。 巡業中の芸名は不明だが鯉かんの名は滑稽本作者の滝亭鯉丈から拝借したという。江戸でもこの名を使った。 都々一、浮かれ節、謎合わせなどの音曲を得意とし寄席では大看板だった。 弟子は多く3代目立川談志(花咲爺の談志)、3代目麗々亭柳橋等が門下にいた。嘉永4年、5年(1851年から1852年)頃没したという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「瀧川鯉かん」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|