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漆谷 康宏(うるしたに やすひろ、1976年9月8日 - )は、日本の男性総合格闘家。愛媛県川之江市(現・四国中央市)出身。TRIBE TOKYO M.M.A所属。元修斗世界バンタム級王者。 アウトボクシングを得意としており、その勝ち星のほとんどが判定勝ちである。打撃トレーナーを務める小野寺力曰くつまらないファイトスタイル(通称ウルシスタイル)が特徴であったが〔原町接骨院 RIKIX 小野寺力 DIARY 2010年5月12日〕、世界王座戴冠後はチャンピオンは試合内容も問われることから、アグレッシブなファイトスタイルとなった〔【修斗】11・19漆谷康宏「ニューウルシスタイルを見せる」VS森卓也「“3強”に割って入る」 格闘技ウェブマガジン GBR〕。 == 来歴 == 2000年9月10日、第7回全日本アマチュア修斗選手権フェザー級(-58kg)で3位入賞を果たした〔第7回全日本アマチュア修斗選手権大会 公式結果 日本修斗協会広報誌 BLOG版 2000年9月10日〕。 2001年1月19日、高橋大児戦でプロ修斗デビューを果たし、0-3の判定負け。 2002年はバンタム級(-56kg)の新人王トーナメントに出場。赤木康洋、端智弘、阿部マサトシを破り新人王を獲得した。 2003年12月14日、初代修斗世界バンタム級王座決定戦でマモルと対戦し、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。 2005年9月23日、修斗でBJと対戦し、1-0の判定ドロー。 2007年3月16日、修斗世界バンタム級チャンピオンシップでBJと再戦し、1-1の判定ドローで王座獲得に失敗した。9月22日、マモルに判定勝ち。12月1日、CAGE FORCE 05でジェシー・タイタノと引き分けた〔【ケージフォース】朴を破ったウマハノフ、反則勝ちの吉田が初代王者に輝く 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年12月1日〕。 2008年9月28日、修斗で正城ユウキと対戦し、フロントスリーパーホールドで一本負けを喫した〔【修斗】上田将勝、ドローで初防衛に成功。正城は漆谷から逆転勝ち 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年9月28日〕。 2009年9月22日、修斗で神酒龍一と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた〔【修斗】遠藤雄介が因縁の朴光哲に一本勝ちで王座防衛!山崎昭博は王座奪取ならず 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年9月22日〕。 2010年5月30日、修斗世界バンタム級王座決定戦で神酒龍一と再戦し、3-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した〔【修斗】日沖がリオンとのライト級頂上決戦を制して世界王者に!ルミナはKO勝利 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年5月30日〕。 2011年2月19日、2度目のシュートボクシングに参戦予定であったが〔【シュートボクシング】2・19修斗世界バンタム級王者の漆谷康宏が参戦 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年2月8日〕、右膝内側靭帯断裂のため欠場となった〔【シュートボクシング】2・19漆谷康宏が負傷欠場、無敗の関西の若手ホープが急遽参戦 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年2月17日〕。 2011年7月18日、修斗世界バンタム級チャンピオンシップで正城ユウキと対戦し、パウンドでKO勝ちを収め初防衛に成功した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「漆谷康宏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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