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『三国志演義』(さんごくしえんぎ、 )は、中国の明代に書かれた、後漢末・三国時代(魏、蜀、呉)を舞台とする時代小説・通俗歴史小説である。四大奇書の一つに数えられる。書名については下記。 著者は定説をみず、施耐庵あるいは羅貫中の手によるものと伝えられている。 ==概要== 後漢末・三国時代(魏、蜀、呉)を舞台とする説話や講談は古くからあり、すでに北宋の時代には劉備と蜀漢を善玉、曹操と魏を悪役とするイメージが定着していたという記録がある〔蘇軾『東坡志林』〕。この講談は「説三分」とよばれた。元代には『全相三国志平話』(全ページ絵入り三国志物語)が刊行されており、『三国志演義』の原型の一つと目されている。このような潮流の中で『三国志演義』は成立した。成立時期は元末・明初とされる。 本書は、蜀漢を正統・善玉とする講談の潮流を維持しながらも、それまでの説話や講談にあった極端な荒唐無稽さや歴史年代を無視した展開・要素を排し、黄巾の乱から呉の滅亡までの後漢末の重要事件と陳寿の『三国志』の扱う範囲を収めている。「漢王朝の血を引く高潔な主人公劉備」と「王朝を支配し専横を振るう曹操」という対立軸を中心とした高い物語性、史書への精通に裏打ちされた逸話の巧みな選択と継起、白話(口語)とは言いながらも洗練された文章で人気を博した。 『百川書志』文中の評にはいわく、「正史に根拠を置きつつ俗伝で装飾し、史文を考証しながらも大衆の好みに通じ、低俗とならず虚構とならず、それでいて読みやすく入りやすく、史家の伝統的古文によるものではないが、盲目的な叙述や面白おかしく書き立てる態度からは離れ、百年間を叙述して、おおむね全ての出来事を包括している。」とある。 本書は中国の小説では珍しく、知識人の読み物としても認められた存在であり、しばしば蔵書目録に『水滸伝』とならんで掲載されていることが指摘されている。吉川幸次郎は、『三国志演義』は明・清の中国において、もっとも広く読まれた書物だろうと推測している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三国志演義」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Romance of the Three Kingdoms 」があります。 スポンサード リンク
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