|
漢四郡(かんのしぐん)は、朝鮮半島中・西北部にあった衛氏朝鮮を滅ぼした前漢の武帝が紀元前108年に設置した楽浪郡・真番郡・臨屯郡、紀元前107年に設置した玄菟郡の郡(地方行政機構、植民地との見方も存在する〔鳥越憲三郎は、「前漢武帝が元封三年に朝鮮半島の北部を植民地として楽浪・臨屯・玄菟・真番の四郡を設置」と記している()。〕〔渡辺延志朝日新聞記者は、「楽浪郡は前漢が前108年に設置した植民地()」「中国の前漢が朝鮮半島に置いた植民地・楽浪郡()」「漢字が植民地経営のために、朝鮮半島にまで広がっていた()」と説明している。〕〔武光誠は、「魏志倭人伝は、朝鮮半島にあった魏の植民地、帯方郡から邪馬台国にいたる道筋を詳しく記している」と述べている(武光誠「古代史最大の謎邪馬台国の21世紀的課題」『月刊現代』2008年6月号 87頁)。〕 )のことである。朝鮮四郡(ちょうせんしぐん)ともいう〔朝鮮四郡 日本大百科全書、コトバンク〕。中国王朝はおよそ400年もの間、朝鮮半島中部・北部を郡県により直接支配し、また朝鮮半島南部に対して間接統制を行った。 漢四郡に先立って、紀元前128年に漢は蒼海郡を置いた。漢四郡のうち、真番郡と臨屯郡は早く廃され、玄菟郡は朝鮮半島から西に移ったが、204年には朝鮮半島に新たに帯方郡が置かれた。楽浪郡と帯方郡は313年まで存続した。 == 年表 == *紀元前128 漢が蒼海郡を設置。 *紀元前108年 漢が、衛氏朝鮮を滅ぼし、漢四郡(楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡)を置く。 *紀元前82年 真番郡、臨屯郡を廃する。 *紀元前75年 玄菟郡を西に移し、半島には楽浪郡だけとなる。 *204年 公孫氏が帯方郡を置く。 *238年 魏が公孫氏を滅ぼし、帯方郡を支配。 *313年 高句麗が楽浪郡を滅ぼし、帯方郡も滅びる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「漢四郡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|