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潘公展[はん こうてん]
潘 公展(はん こうてん)は中華民国(台湾)のジャーナリスト・政治家。中国国民党で文化・宣伝の任務を担当した、CC派の幹部である。旧名は有猷。号は淦清、幹卿。 == 事跡 ==
=== ジャーナリストとしての活動 === 絹商人の家庭に生まれる。湖州両等小学堂で学んだ後、秘密裏に革命派の団体に加入した。1912年(民国元年)、上海聖ヨハネ大学外語系に入学している。在学中に『時事新報』の「学灯」副刊と『国民日報』の「覚悟」副刊で特約執筆者となった。また、柳亜子らの南社にも参加している。 1919年(民国8年)、五四運動が勃発すると、潘公展は上海学生聯合会評議部秘書・財政委員会員となり、さらに会報の主編にも選ばれている。同年夏、上海聖ヨハネ大学を卒業し、上海私立市北中学で教務主任となっている。翌年、『商報』という新聞の創刊に参加し、1921年(民国10年)に正式に刊行されると、電訊主編に任ぜられた。このとき、陳布雷と同僚になって共に働き、2人とも文章で高い評価を得ている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「潘公展」の詳細全文を読む
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