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潮恒太郎[うしお つねたろう] 潮 恒太郎(うしお つねたろう、1865年(慶応元年) - 1919年(大正8年)6月20日)は、明治から大正期の日本の司法官。 == 人物 == 慶応元年(1865年)11月、島根県において、潮房太郎の長男として生まれる〔『現代人名辞典』ウ21頁 、『大日本人名辞書 上巻』351頁 〕。 明治18年(1885年)7月、松江始審裁判所浜田支庁に雇〔雇員。官吏としての身分は持たない。〕として奉職〔『抱月島村滝太郎論』482頁〕。当時の浜田支庁には、若き日の島村抱月(当時の姓名は佐々山瀧太郎)も給仕として奉職していた〔明治21年(1888年)11月、給仕から雇へと昇格。〕〔。 恒太郎はその後、苦学して判事登用試験に合格し、明治20年(1887年)、判事に任官〔『抱月島村滝太郎論』482頁、『大日本人名辞書 上巻』351頁〕。東京地方裁判所、東京控訴院に在勤〔『大日本人名辞書 上巻』351頁〕。東京地裁の上席判事を10年務め〔、予審判事として、シーメンス事件や〔東京日日新聞大正3年4月26日「予審決定書 シーメンスシュッケルト電気会社の贈賄事件(海軍収賄)(シーメンス事件) 其一」 - 神戸大学図書館 新聞記事文庫〕、幸徳秋水らの大逆事件(幸徳事件)〔石川啄木『日本無政府主義者陰謀事件經過及び附帶現象』 - 青空文庫〕といった著名な事件を担当した。 大正8年(1919年)6月20日、大審院検事に任じられたが、翌21日死去した〔。享年55。「予審判事中の第一人者」と評されたという〔。
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