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潮汕鉄道[ちょうさんてつどう] } 潮汕鉄道(ちょうさんてつどう、、)は、広東省の汕頭と同省潮州」を結んでいた全長約42.1kmの民間鉄道である。清1906年(光緒32年)11月16日に開業したが、1939年に日本軍の爆撃により破壊され、広東省保安処と第四戦区汕頭前敵指揮部の命令により撤去された。 == 日本の華南新出と「東南海岸幹線」計画 == 1895年(明治28年)の日清戦争以後日本は中国大陸に対し、商工業の進出をはかると同時に鉄道建設による利権確保を図ろうとしていた。ただ進出にあたり列強であるイギリスとの衝突は極力回避しなければならない。福建省は、イギリスの勢力が弱く、既に植民地化していた台湾の対岸にあたる。福建省は、日本の中国大陸における鉄道建設計画の最初の目標地になった。1899年(明治32年)12月10日、外務省は上海総領事をはじめ天津、重慶等7つの都市の各領事に対し「清国各地方鉄路事業勃興ニ際シ本邦鉄道技師推薦方右同国各領事館ヘ訓令一件 附小川資源技師渡清の件」という訓令を与えている。明治政府が清国政府に対し日本の技師を積極的に推薦する旨の指示を出している。小川資源(おがわしげん、1852年-1910年、鉄道技師)は、官命を帯び1899年に第一回目、1902年に第二回目の鉄道建設のための調査を行っている。この調査により、浙江省杭州から福建省福州、廈門を経由し広東省広州府に至る「東南海岸幹線」が計画された。この計画は七つの工区に分けられていた。汕頭と潮州間約39キロは、広東省黄岡から広州府に至る第七工区の支線にあたる。この区間は、平坦地であり難工事が少なく、耕地のため障害も少なかった〔「清末民初における鉄道建設と日本 その1.小川資源の鉄道考察と潮汕鉄路の建設」徐蘇斌 土木史研究講演集vol.24)(2004年)〕。
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