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潮田 益子(うしおだ ますこ、1942年4月4日〔〕 - 2013年5月29日)は、満洲国奉天市(中国瀋陽市)出身のヴァイオリニスト。 ボストンのニューイングランド音楽院教授〔〕を務め、ソリストとしても国際的に活躍した。 == 経歴 == 桐朋学園子供のための音楽教室に入室し〔〕、13歳で東京交響楽団と共演してデビュー。15歳で日本音楽コンクールヴァイオリンの部第1位及び特賞受賞。これが初めての受賞となる。 雙葉学園中等部を経て〔〕、桐朋学園高校では、小野アンナ、斎藤秀雄らに師事。1961年の卒業後ソ連政府に招待され、レニングラード音楽院に3年間留学し、留学中の1963年には、エリザベート王妃国際音楽コンクール第5位入賞を果たした。 1964年よりスイスのモントルーにて、ヨーゼフ・シゲティに師事。「生涯わずかしか遭遇できない逸材」と激賞を受ける。〔〕1965年に欧米にてデビュー。1966年に出場した第3回チャイコフスキー国際コンクールにおいて第2位入賞。 それ以後、小澤征爾やズービン・メータなどの名指揮者のもと、ロンドン交響楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、シカゴ交響楽団、ボストン交響楽団など世界の一流オーケストラと共演。リサイタルも北米とヨーロッパの主要都市で行い、ラ・ホヤ室内楽音楽祭、マールボロ音楽祭、スポレート音楽祭(ドゥエ•モンディ祭)など室内楽の音楽祭にも数多く参加している。 水戸室内管弦楽団の主要メンバーとして演奏〔、作品によって独奏やコンサートミストレスも務める。また、サイトウ・キネン・フェスティバル松本にもたびたび出演した〔。使用楽器は、1690年製ストラディヴァリウス。2013年5月28日マサチューセッツ州ケンブリッジで白血病のため死去した〔。生前の希望により葬儀は行われなかった〔。子供は2人もうけた。 夫はニューイングランド音楽院元学長で〔、チェリストのローレンス・レッサー〔2段落 3行目 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「潮田益子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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