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潮見橋(しおみばし)は、鹿児島市の南部を流れる和田川に架かっている橋。2006年までは石橋であったが、和田川の河川改修工事に伴い撤去された。石橋の欄干には「志保みはし」と書かれていた。 == 沿革 == 1890年(明治23年)、和田川と支流・木之下川の合流点から100mほど下流側に架設。1993年の鹿児島大水害(8・6水害)以降では、3連アーチの石橋としては鹿児島市内に現存した唯一のものであった。橋脚には上流側に水切石がついている。石工は不明だが、肥後国の名石工・岩永三五郎の教えを受け継いだ地元の石工によるものと思われる(岩永三五郎作の「潮見橋」は別の橋で、既に現存せず)。文化財未指定。 鹿児島市は1993年(平成5年)8月6日に起きた鹿児島大水害(8・6水害)によって甚大な被害を受け、また甲突川に架かる石橋群(甲突川五石橋)のうち2橋を失った(残りの3橋は石橋記念公園に移設保存済み)。以降、市内を流れる川の河川改修工事を進めていたが、今回、和田川の河川改修工事に伴い、潮見橋を現地保存した上で改修するか、川幅を拡幅するために架け替えるか議論となっていた。 結局、「劣化が進み現地保存・補修が困難」と判断され、2005年潮見橋の解体が決定。住民などが求めた撤去差し止めの仮処分も却下され〔南日本新聞「潮見橋撤去 差し止め仮処分却下/鹿地裁 」 平成18年1月18日〕、2006年(平成18年)2月24日より解体工事が始まった。 なお、解体後の旧・潮見橋の移設の予定は今のところなく、取り扱いは決定していない。一方、2006年度中にも新・潮見橋の架設工事が始まる予定である。 2007年(平成19年)9月に行われた鹿児島市議会の建設委員会において、旧・潮見橋の移設・復元は行わないこと、また解体後の石材の全部(2100個)を使って新・潮見橋の河川敷石(1915個)や新・潮見橋のたもとに新設する記念碑(185個)に有効活用することが明らかにされた〔47NEWS南日本新聞「旧潮見橋の解体石材 敷石、記念碑に活用 」 平成19年9月22日〕。新・潮見橋は2008年(平成20年)2月6日完成した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「潮見橋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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