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澤瀉久孝 : ウィキペディア日本語版
澤瀉久孝[おもだか ひさたか]

澤瀉 久孝(おもだか ひさたか、1890年明治23年)7月12日 - 1968年昭和43年)10月14日)は、日本文学者文学博士
== 来歴・人物 ==
1890年(明治23年)、三重県度会郡宇治山田町(現在の三重県伊勢市)に生まれる。
三重県立第四中学校・第三高等学校を経て、1915年大正4年)に京都帝国大学文科大学文学科国文学専攻卒業。第五高等学校教授を経て、1922年(大正11年)京都帝国大学文学部助教授、1936年(昭和11年)に同教授に就任。その前年に文学博士の学位を授与されている。学位論文の題は 「上代歌謡ノ作者及ビ時代考」。〔博士論文書誌データベース〕 1951年(昭和26年)、京都大学教授を辞職し、京都大学名誉教授となる。退職後は関西大学ノートルダム清心女子大学皇學館大学で教鞭をとる。
研究人生を『万葉集』一筋に費やした万葉集研究の大家で、特に訓詁の重要性を説いた。京都大学教授を退職した昭和26年に萬葉学会設立の際、その代表者に推された。また、彼の代表著書のひとつである『万葉集注釈』の完成に対し、1967年(昭和42年)に第37回朝日賞が贈られた。翌1968年、萬葉学会の全国大会のために静岡に滞在中、当地にて心不全のため死去〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)7頁〕。享年78。大阪大学などで教鞭を執ったフランス哲学研究者澤瀉久敬は実弟。
教え子には集英社版『萬葉集』(全10巻)を註釈した事で知られる伊藤博などがいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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