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濱尾 四郎(はまお しろう、1896年4月24日 - 1935年10月29日)は、日本の弁護士、探偵小説家。子爵。貴族院議員。戦後の版では「浜尾四郎」表記が一般的である。 == 来歴 == 1896年4月24日 、東京市麹町区に男爵で医学博士の加藤照麿の四男として生まれる。 1909年(明治42年)、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。 1914年(大正3年)、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。 1917年(大正6年)、第一高等学校卒業。 1918年(大正7年)、東京帝大に入学。子爵枢密院議長にして元東大総長・文部大臣の濱尾新子爵の娘・操と結婚、養子となる。 1923年(大正12年)、 東京帝国大学法学部卒業。演劇と犯罪心理を分析した研究書を多数著す。 1924年(大正13年)、東京区裁判所検事代理を命ぜらる。この時期、探偵雑誌『新青年』(博文館)の依頼で『落語と犯罪』、『犯罪落語考』などのエッセイを発表。 1925年(大正14年)、子爵を襲爵する。検事に任ぜられ、東京地方裁判所兼東京区裁判所検事局勤務。 1928年(昭和3年)、検事を辞職し弁護士を開業。 1929年(昭和4年)、『彼が殺したか』を「新青年」に発表して探偵小説デビュー。『殺された天一坊』を『改造』(改造社)に発表。『悪魔の弟子』、『黄昏の告白』を「新青年」で発表。 1930年(昭和5年)、『正義』、『虚実』を「新青年」に発表。 1931年(昭和6年)、『殺人鬼』を名古屋新聞、『博士邸の怪事件』を「放送」に発表。 1933年(昭和8年)、書き下ろし長篇『鉄鎖殺人事件』(新潮社)を刊行。貴族院議員に当選。以後、創作活動が停滞。 1934年(昭和9年)、『平家殺人事件』を「オールクイン」で連載。 1935年(昭和10年)、脳溢血により急逝。享年40。『平家殺人事件』は中絶となる。 1936年(昭和11年)、『浜尾四郎随筆集』(春秋社)刊行。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「濱尾四郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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