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瀧口新太郎 : ウィキペディア日本語版
滝口新太郎[たきぐち しんたろう]

滝口 新太郎(たきぐち しんたろう、1913年2月13日 - 1971年10月23日)は日本の俳優である。瀧口 新太郎と表記されることもある。
子役で舞台で活躍した後、井上正夫の弟子となり、松竹蒲田に入社し、川崎弘子らと共演。1932年の『忠臣蔵 前篇 赤穂京の巻』、『忠臣蔵 後篇 江戸の巻』では後に妻となる岡田嘉子と共演している。
1933年、日活に入社し、二枚目スターとして活躍。1935年に入社した花柳小菊と共にあこがれコンビと名づけられる。1935年には原節子のデビュー作である『ためらふ勿れ若人よ』に主演している。1936年1月、大阪中座の「己が罪」で岡田嘉子の子供役を務める。1942年まで日活で活躍した後は東宝大映にも出演。
1943年、徴兵され満州に駐留。独立歩兵二十四大隊の一等兵となる。1945年、敗戦により軍の上層部や財界人や官僚は日本にいち早く逃げ帰ったが、置き去りにされた滝口ら多くの日本人は、ソ連の捕虜となり、シベリアに抑留された(シベリア抑留)。
釈放後も、社会主義の理念に共感したためソ連に残り、ハヴァロフスク放送局の日本語アナウンサーとなる。岡田嘉子がモスクワ放送の日本語課に勤務していることを知り、手紙を送るようになる。1950年、上司の計らいでモスクワへ転勤させてもらい、岡田と結婚。
1971年、肝硬変で死去。翌72年11月13日、岡田が滝口の遺骨を持って帰国。滝口は満州で戦死していたと思っていたファンも多く衝撃を与えた。
== 外部リンク ==

* 日本映画データベース 滝口 新太郎





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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