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瀧澤菊太郎[たきざわ きくたろう] 瀧澤 菊太郎(たきざわ きくたろう、1854年12月4日(嘉永7年10月15日) - 1933年(昭和8年)1月12日)は、明治期の教育者、師範学校校長。 == 経歴 == 信濃国埴科郡福井村(現・長野県千曲市)生まれ。14歳で寺子屋に学び私塾で漢学を修める。1874年上京し日本橋の私塾「日章堂」で英学を学び慶應義塾に入る。1876年東京高等師範学校に入学するが、アメリカ合衆国の教育事情を視察して帰国した伊沢修二、高嶺秀夫が実習を重んずる開発主義の新教育法により新しい教育を始めたため、卒業取り消しを願って3年の履修課程を6年かけて卒業した。秋田師範学校校長、群馬師範学校校長、佐賀県師範学校校長、東京府師範学校校長を歴任した。文官高等官となり昇叙する。1924年に勲三等瑞宝章、1925年に正四位旭日中綬章に叙された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「瀧澤菊太郎」の詳細全文を読む
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