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瀬名弌明[せな かずあき]
瀬名 弌明(せな かずあき)は、江戸時代の旗本。初め貞陳(さだのぶ)、貞盈(さだみつ)と称したが、のちに祖先にあたる瀬名弌秀の一字を取って弌明に改名した。 == 生涯 == 旗本瀬名清貞の四男として生まれる。寛文8年(1668年)2月21日、10歳のとき徳川家綱に初謁。延宝2年(1674年)7月12日に家督を継ぎ、小普請組入り。 延宝4年(1676年)4月26日に大番組に列し、元禄4年(1692年)11月19日に番を辞する。その後元禄8年(1695年)4月1日にふたたび大番に就任。元禄10年(1697年)7月26日には切米を知行にあらため、下総国匝瑳郡・香取郡内に知行地を拝領した。 元禄13年(1700年)10月12日、大坂城在勤の鉄砲奉行となり、正徳元年(1711年)6月15日に勤めを辞した。享保17年(1732年)8月26日に致仕、養子の俊光に家督を譲って一円と号する。 寛保3年(1743年)1月28日没。享年85。四谷の妙行寺に葬られる。以後、妙行寺が瀬名家代々の葬地となる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「瀬名弌明」の詳細全文を読む
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