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関口親永[せきぐち ちかなが]
関口 親永・瀬名 義広(せきぐち ちかなが/せな よしひろ)は、戦国時代の武将。今川刑部少輔家(今川関口家)の当主で駿河今川氏の有力家臣。主君今川氏親から偏諱を受けて親永に改める。駿河持船城主。今川義元の妹婿であり、徳川家康の正室・築山殿の父に当たる。 今川一門の瀬名氏貞の次男で、一族の関口氏縁の養子となって関口家の家督を相続した。駿河今川家の重臣かつ室町幕府の奉公衆でもある。 永禄3年(1560年)、義元が織田信長によって桶狭間の戦いで討たれた後も衰退する今川氏を支えた。しかし娘婿の家康が今川氏から独立したため、義元の嫡男・氏真からその去就を疑われた結果、永禄5年(1562年)、駿府尾形町の屋敷にて切腹を命じられて果てた。 == 外部リンク ==
*関口氏
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関口親永」の詳細全文を読む
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