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瀬島 龍三(せじま りゅうぞう、1911年12月9日 - 2007年9月4日)は、日本の陸軍軍人、実業家。 大本営作戦参謀などを歴任し、最終階級は陸軍中佐。戦後は伊藤忠商事会長、中曽根康弘元首相の顧問など多くの要職に就任し、政治経済界に大きな影響力を持ち、「昭和の参謀」と呼ばれた〔ITmediaエグゼクティヴ「瀬島龍三氏、「マネジメントの真髄」を語る――メディア取材の最後の勇姿 」2007年10月26日 11時00分 更新〕。号は「立峰」。 義父は岡田政権で内閣総理大臣筆頭秘書官を務めた松尾伝蔵(陸軍大佐)である〔松尾の長女清子が妻。〕。 == 生涯 == === 初期 === 1911年12月9日、富山県西砺波郡松沢村鷲島(現在の小矢部市鷲島)の農家で村長の瀬島龍太郎の三男として生まれた〔。旧制富山県立砺波中学校、陸軍幼年学校を経て、1932年に陸軍士官学校(第44期)を次席(首席は原四郎)で卒業し、昭和天皇から恩賜の銀時計を受けた〔。その後、富山歩兵第35連隊附の歩兵将校として従軍。その後は師団長の推薦により陸軍大学校(第51期)に入学、1938年12月8日に首席で卒業し、昭和天皇から恩賜の軍刀を受けた。御前講演のテーマは「日本武将ノ統帥ニ就テ」。 その後、1939年1月15日に関東軍隷下の第4師団参謀として満州へ赴任し、同年5月15日には第5軍(司令官・土肥原賢二陸軍中将)参謀となり、同年11月22日に大本営陸軍部幕僚附関東軍参謀本部部員となる。翌1940年には、大本営陸軍部作戦課に配属される。なお、この関東軍参謀時代に瀬島は対ソ示威演習である関東軍特種演習(関特演)の作戦担当として作戦立案にあたった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「瀬島龍三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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