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瀬川合戦 : ウィキペディア日本語版
瀬川合戦[せがわがっせん]

瀬川合戦(せがわがっせん)は、元弘3年(1333年)に行われた赤松則村(円心)を総大将とする後醍醐天皇軍と鎌倉幕府六波羅探題軍との戦い。
== 開戦経緯 ==
元弘元年(1331年)に後醍醐天皇が起こした元弘の乱以後、鎌倉幕府倒幕運動が盛んになり、護良親王の令旨を受けて播磨国で赤松則村が挙兵した。赤松則村は挙兵後、六波羅探題側の武将を次々と破り、元弘3年(1333年)に摂津国摩耶山に城を築城した。同年六波羅探題側の軍勢は2月11日に赤松軍を討伐するため、摩耶山麓に陣を構えるが赤松勢に破られた。28日、六波羅側は摩耶山麓に再度陣を構えるが、猪名川付近まで赤松方が攻め入り、赤松方は猪名川付近に停滞して六波羅方を待ち構えた。
同年3月10日になると、六波羅方も猪名川付近に布陣し、両軍の睨み合いが続いたが、10日夜になると尼崎から上陸した四国小笠原勢が赤松方に攻め入り、赤松方は敗走する事になる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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