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瀬川美能留 : ウィキペディア日本語版
瀬川美能留[せがわ みのる]
瀬川 美能留(せがわ みのる、1906年3月31日 - 1991年9月10日)は日本の実業家野村證券元社長・会長。
==来歴・人物==
奈良県出身。成器商業を経て、大阪高等商業学校大阪商科大学高等商業部卒業後、野村證券へ入社。
1959年に社長就任し、1965年には調査部を独立して、野村総合研究所設立。右翼政商児玉誉士夫に莫大な資金を送り込んでいたことでも知られる。1968年からは会長を務め、その後は相談役を務めた。その他には日本証券業協会連合会会長を務める傍ら、瀬川学術振興基金を設立し、その融資を大阪市に寄付し、大阪市立大学証券研究センターをバックアップさせた。その他には大和ハウス工業監査役、毎日放送取締役も務めた。
1991年9月10日死去。享年85。子は二男二女。長男の瀬川久雄は元柏そごう社長。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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