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瀬戸一家(せといっか)は、愛知県瀬戸市に本部を置く暴力団。幕末から続く名門博徒組織としてその名を知られ、単独組織としては日本全国で最大面積の愛知県下から岐阜県に跨る広大な費場所を有し、平野家一家や稲葉地一家と並んで“愛知の三大侠雄”の一と謳われてきたものの、20世紀も暮れの頃に山口組(当時は五代目)の二次団体となった。〔''『六代目山口組完全データBOOK 2008年版』'' : “2008年 引退した男たちの肖像:【九代目瀬戸一家】渡辺啓一郎総裁” 2009年2月 ISBN 978-4-86201-358-3 ''メディアックス''〕 ==来歴== === 祖:水野村ノ吉五郎 === 幕末の頃、東春日井郡水野村に吉五郎(加藤吉五郎とも〔name="ninkyo_418-445">''『任侠百年史』'' : “〔中部地方任侠家系図〕” 1980年10月 ''笠倉出版社''〕)と呼ばれる者が博徒の親分となる。一説には東濃地方の梅屋一家の子分であったとされるが確かではない。この頃は一家名はなく吉五郎の子分に北熊ノ実左衛門こと近藤実左衛門、井上愛吉、今村ノ伊三(今村ノ伴三とも〔name="ninkyo_418-445"/>)がいた。 明治初年頃、吉五郎は跡目を近藤実左衛門へ譲り、1884年(明治17年)に没する。 実左衛門は明治維新の際、尾張侯の越後隊へ加わり会津戦争へいったため、費場所を今村ノ伊三へ預けた。愛吉は自分より格下の伊三へ費場所を預けられたことに不満を持っていた。 実左衛門が戦争より帰ると“吉五郎一家”を名乗らず自身の住所である北熊村をとり“北熊一家”を名乗った。これに対し愛吉は実左衛門を絶縁し、自身の住所より“瀬戸一家”を名乗った。これより瀬戸一家と北熊一家は大いに勢力争いをしていくこととなった。〔''『任侠百年史』'' : “「瀬戸一家」” 1980年10月 ''笠倉出版社''〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「瀬戸一家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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