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剣号作戦[けんごうさくせん]
剣号作戦(けんごうさくせん〔防衛庁防衛研修所(1980年)、401頁。〕)あるいは剣作戦とは、太平洋戦争末期に日本軍が立案した、マリアナ諸島のアメリカ軍基地に対するエアボーン攻撃計画である。当初は海軍陸戦隊250人が乗った航空機を強行着陸させB-29爆撃機を破壊する計画であったが、後に原子爆弾の制圧も目標に加えられ、陸軍空挺部隊300人も参加することになった。烈作戦(れつさくせん)と称する支援空襲も同時に実施する計画だった。使用予定の航空機がアメリカ軍機動部隊の空襲で破壊されたため延期となり、発動直前に終戦の日を迎えて中止となった。 なお、烈号作戦の作戦名は、同時期に別に計画中だった沖縄のアメリカ軍飛行場を攻撃目標とした陸軍空挺部隊によるグライダー降下作戦の名称にも用いられている〔防衛庁防衛研修所(1980年)〕。 == 背景 ==
1944年(昭和19年)7月のサイパンの戦いでの敗北後、日本本土のほとんどは、マリアナ諸島に展開したアメリカ陸軍航空軍のB-29爆撃機による戦略爆撃の脅威にさらされるようになった。マリアナ諸島から発進したB-29による日本本土空襲は、同年11月24日の東京空襲を皮切りに次第に激しさを増した。特に1945年(昭和20年)2月末に目視照準による精密爆撃からレーダー照準による市街地爆撃へ方針転換がされて以降、日本側の被害が一挙に拡大した。 日本軍は、戦闘機や高射砲での迎撃を行ったが、対空警戒網の不備やB-29の優れた高空性能・防御力のため、撃墜は困難であった。そこで、硫黄島を中継基地に使った空襲により、飛行場のB-29を地上撃破することも何度か試みられたが、決定的な打撃を与えることはできなかった()。1945年2-3月の硫黄島の戦いで中継基地が失われると、この種の空襲による反撃も不可能になった。 日本側の戦況はさらに悪化し、1945年3月末には沖縄戦が始まった。連合国軍は同年11月にダウンフォール作戦による日本本土上陸を予定しており、日本側も同年秋には本土上陸が起きる可能性が高いと判断していた。日本軍は本土決戦に向けた準備を進めていたが、兵器・物資の備蓄も陣地の構築も未完成であった。
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