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烏丸 資任(からすまる すけとう、応永24年(1417年) - 文明14年12月15日(1483年1月23日))は室町時代の公家。室町幕府8代将軍足利義政の寵臣。烏丸豊光の子。号は蓮光院。子に烏丸益光、養子に烏丸冬光がいる。従姉は日野重子。 文安元年(1444年)に参議、長禄2年(1458年)には従一位・准大臣に任じられた。応仁元年(1467年)に出家し、西誉と号する。応仁の乱を避けて三河国伊良湖御厨に下向し、文明14年(1482年)に同地にて66歳で薨去。 今参局(御今)や有馬持家とともに一時幕政に深く関与したが、3人とも「おいま」「ありま」「からすま(る)」と「ま」がつくことから「三魔」と呼ばれた。 == 関連項目 == * 烏丸家 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「烏丸資任」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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