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無礼講 : ウィキペディア日本語版
無礼講[ぶれいこう]
無礼講(ぶれいこう)とは、地位身分の上下を取り払い楽しむという趣旨の宴会
== 概説 ==
日本の神事としての祭りは、神と人が共に同じものを食する神人共食が基本の形であり、神に奉納した神酒を参列者も授かる直会が礼講であり、その後二次会的に行われる宴席のことを無礼講とすることが、本来の意とも言われる。
歴史的な経緯としては、古代日本の貴族主体の宴会では、座席や酌の順番、杯の回数や手順など儀礼が重んじられていたが、武家が力を持った中世以降、儀礼を取り払った一般的な宴会形式として、無礼講が広がったといわれる。
記録に残る日本の宴会では、無礼講は無い方が珍しい。平安時代から室町時代にかけて成立した正式な宴会形式である本膳料理は「式三献」という9杯の盃を干すところから始まるが、小杯3杯、中杯3杯、大杯3杯と規定だけでも相当な量を飲む。本膳が終わったあとは酒宴となるが、人に酒を勧める際の作法が記録に残っているだけでも10種類以上あった。酒合戦のように飲み比べになることが多く、誰かが倒れるまで飲むのが原則だった。しらふでは非礼だが、酔って殿上で吐く場合は「苦しからず」とされた。イエズス会司祭で『日本教会史』を著したジョアン・ロドリゲスは日本の宴会は酒で腹いっぱいにし、泥酔させることを目的にしていると分析している。また、熊倉功夫は乱酒の中にもいろいろルールがあり、見かけは無礼でも一定の秩序の中の乱酒だったのではないかと述べている。
太平記において、後醍醐天皇側が鎌倉幕府の討幕を図るため、身分を越えた密議を行うため、無礼講と称した宴席を行ったことが記されている(正中の変)。参加者は烏帽子法衣を脱ぎ、献杯においては身分の上下を取り払い、薄着の17-18歳の美女10数人に酌をさせ、山海の珍味と酒を尽くし、歌い舞うというものであった。これが無礼講の起源とも言われる。
江戸時代に成立した古典落語八五郎出世では、無礼講だからと言われて羽目を外しすぎる人物が描写されており、現在と同様の意味で無礼講という言葉が使われている。
一口に無礼講といっても、その意味合いは発言者により変わる曖昧なものである。などの作法を無視する、一般的な作法に代わって独自の作法を適用する(またはその逆)、業務外の話題を許可あるいは推奨する、注文する料理の値段を気にしないなど。「楽しんで欲しい」という意思表示として形式的に述べられるだけの場合もある。そのため、発言者の意図を汲み取った振舞いができないと、上司、部下、先輩や後輩、さらに同期社員との、その後の人間関係に影響を及ぼす恐れがある。
形式的に述べられる「お約束」のような言葉でもあり、必ずしも無礼が許されるとは限らないため、宴会の席では状況を把握した上で、過剰にならない程度に振舞うことが求められる。その度合いはどのような集まりであるかにもより、例えば過密スケジュールで高負荷が常態化するような部署ではストレスを解消させ業務効率の回復を狙い、行き過ぎた態度に出ず不快にならない程度の無礼を容認する場合がある。
しかし仲間内ではともかく、会社や先輩後輩などの関係の場合の無礼講は上役の発言の真意を窺わなければならない。「無礼講」を「あらゆる無礼が許される」と解釈して上役に酔って絡む若手社員が毎年必ずおり、その際の態度によっては解雇を受けたりと問題化することがしばしばある。形式が決まっている通常の宴会以上に場の空気を読む能力が必要となる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「無礼講」の詳細全文を読む



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