|
照和(しょうわ)は、福岡県福岡市中央区天神2丁目に存在するライブ喫茶。 著名な大物ミュージシャン・芸能人を数々輩出していることから、現在でも伝説的に語り継がれている。 == 概要 == 1970年11月に開店している。照和の名前には、当時学生運動などで騒然としていた世の中を明るく照らしたいというオーナーの願いが込められている。また、空前のフォークブームで市内の公園などで夜な夜な歌う若者も多く、若い人が喜ぶのならばと思って誕生したという〔西日本新聞社広告局『博学博多』西日本新聞社、2007年、P208〕。 1960年代末は、広島フォーク村や関西フォークが盛んで、博多のミュージック・シーンは一大ムーブメントにはなっていなかった〔「甲斐よしひろが語る伝説のライブハウス『照和』物語」『映画秘宝』、2011年2月号、洋泉社、P74〕。照和が出来てある種の群れが出来上がっていった〔。 ステージはわずか高さ10cmの台であるが、70年代、80年代はこのステージに上がることが、大変名誉なことであり、福岡発の大物ミュージシャンは若手時代、照和を目標に音楽活動をしていた。 福岡・九州のミュージックシーンを支えた。若手ミュージシャンたちは、店の食事メニューをギャラ代わりにステージに上がっていたが、下手な歌手が登場すると客があっさり帰ったり、辛辣な野次が飛ぶなど、目の肥えた厳しい観客が揃っていたことから、彼らはここで鍛えられた。福岡は、多くの芸能人を輩出していることから、ビートルズを生んだリバプールにちなんで「日本のリバプール」と呼ばれていた時期があったが、多くのミュージシャンを見出した岸川均(当時KBC九州朝日放送ディレクター)の存在や、RKBラジオ「スマッシュ!!11」などと並んで、照和はその象徴でもあった。 一時営業を休止していた時期もあったが、現在も毎週金曜・土曜にはライブを開催しており、ライブ喫茶として福岡のアマチュア音楽シーンを支えている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「照和」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|