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照櫻弘行 : ウィキペディア日本語版
照櫻弘行[てるざくら ひろゆき]
照櫻 弘行(てるざくら ひろゆき、本名:尾崎 弘行(おざき ひろゆき)、1947年12月5日- )は、1960年代から1970年代にかけて活躍した大相撲力士である。大阪府箕面市箕面出身で、現役時代は伊勢ヶ濱部屋に所属した。最高位は西前頭7枚目(1970年9月場所)。現役当時の体格は183cm、114kg。得意手は左四つ、突き、押し、寄り。
== 来歴・人物 ==
柔道部で活躍していた天理高等学校を2年生途中で中退後に伊勢ヶ濱部屋へ入門し、1964年5月、16歳で初土俵。同年7月場所にて、「照桜」の四股名序ノ口に付いた。
その後は比較的順調に出世し、1969年9月場所で十両に昇進。その後、1970年7月場所で入幕を果たした。
しかし、幕内では立ち合いに付いてゆけずなかなか自分の相撲を取らせてもらえなかったために苦戦し、幕内在位は通算5場所に終わっている。
以降は糖尿病の悪化もあり一時幕下まで陥落したが盛り返し、十両2枚目まで番付を戻すも、幕内への復帰はならなかった。
1975年7月場所後、再度幕下に陥落。
東幕下20枚目の地位で途中休場した1976年1月場所を最後に28歳の若さで引退し、年寄・浦風を襲名した。
日本相撲協会では、地方場所部委員(大阪場所担当)、指導普及部委員などを歴任。また、伊勢ヶ濱部屋から桐山部屋朝日山部屋と所属部屋を変え(いずれも、立浪・伊勢ヶ濱連合関連の部屋である)、2012年12月の停年退職まで長く後進の指導に当たった。
1997年に桐山部屋に入門し、三段目まで上がった西瀬川(※本名:原 功(はら いさお)、2005年に引退)は甥。ちなみに浦風親方が同部屋に移籍したのは、翌年(1998年)のことである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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