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熊代 聖人(くましろ まさと、1989年4月18日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手(外野手)。 == 経歴 == ===プロ入り前=== 野球ファンであった祖父の影響を受け、プロ野球選手を志す。祖父は小学校2年生時に亡くなったが、生前に「必ずプロ野球選手になる」との約束を交わしていたといい、告別式の日に祖母から渡されたアイスの棒へ「絶対プロ野球選手になるけん」と書き記し、祖父の霊前に供えた〔埼玉西武・熊代聖人「プロに導いた2度の転機」 ~ファーム・レポート~ - SPORTS COMMUNICATIONS 2011-07-07〕。その後、柔道を習い始めるが〔祖父を亡くした悲しみから野球に対して意欲が湧かず、父親から柔道を勧められたことによる。得意技は払い腰。柔道と野球との掛け持ちは中学1年生時まで続いた。以上文化放送「ライオンズエキスプレス」2011年1月25日放送分、本人へのインタビューより〕、それと並行して小学校4年生より地元の野球チーム・久万クラブで硬式野球を始める。クラブでは全ポジションを経験。 愛媛県立今治西高等学校では投手兼外野手として、第88回全国高等学校野球選手権大会・第79回選抜高等学校野球大会・第89回全国高等学校野球選手権大会と3度の甲子園を経験する。最後の夏ではエースで4番を任され、1回戦で八代東高、2回戦で小熊凌祐擁する近江高を破り、3回戦では佐藤祥万を擁する文星芸大附高を相手に9回に決勝本塁打を放ち、チームのベスト8進出に貢献した。準々決勝では野村祐輔、土生翔平、上本崇司、小林誠司を擁する広陵高に敗れる。 甲子園における打撃成績は通算打率.421、1本塁打、8打点を記録、投手としては最速143km/hをマークし、75回3分の1を投げ自責点27、防御率3.23の成績を残している。なお、甲子園で放ったホームランボールと完封した試合のボールは共に祖父の仏壇に供えた。 高校卒業後は、社会人野球の日産自動車に入社し、内野手に転向する〔。1年目のからレギュラー選手として起用され、チームの第79回・第80回の二度にわたる都市対抗野球出場に貢献した。2年目の11月、同社野球部の休部に伴って王子製紙へ移籍。移籍と同時に外野手(主に中堅手)へ転向し〔、同社でも第81回都市対抗野球への出場を果たしている。 10月28日、プロ野球ドラフト会議において、埼玉西武ライオンズから6位指名を受けた〔2010/10/28 2010年 ドラフト会議開催! - 埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト 2011-12-10閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「熊代聖人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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