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熊谷 直国(くまがい なおくに、生年不詳 - 承久3年6月13日(1221年7月4日))は鎌倉時代前期の御家人。父は熊谷直家。子に熊谷直時、熊谷祐直。弟に三河熊谷氏の祖となった熊谷直重(高力氏祖)、陸奥熊谷氏の祖となった熊谷直宗(陸奥熊谷氏祖)。官途は備中守。 == 生涯 == 熊谷直家の子として生まれる。成長後、鎌倉御家人として遇され、1221年の承久の乱では、主力の1人として戦闘に参加。同年6月13日の宇治川の戦いで後鳥羽上皇側の名将・山田重忠と戦って討死した。この時の戦功により、息子の直時に安芸国三入荘が与えられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「熊谷直国」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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