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熊谷直実 : ウィキペディア日本語版
熊谷直実[くまがい なおざね]

熊谷 直実(くまがい なおざね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将武蔵国熊谷郷(現埼玉県熊谷市)を本拠地とした。熊谷直貞の次男。
熊谷氏桓武平氏平貞盛の孫〔貞盛の祖父が高望王(桓武天皇のひこ孫)で、平姓を賜った。平良文(坂東八平氏の祖)は高望王の側室の子といわれている。すなわち、坂東八平氏ではない。参考文献 14. p54〕・維時(これとき)の六代の孫を称するが、武蔵七党の私市党、丹波党の分かれともされ、彰かではない〔『源平合戦辞典』吉川弘文館、熊谷直実項〕。直実の祖父・平盛方(もりかた)が勅勘をうけたのち、父直貞の時代から大里郡熊谷郷の領主となり、熊谷を名乗った。
平家に仕えていたが、石橋山の戦いを契機として源頼朝に臣従し御家人となる。のちに出家して法然上人の門徒となり蓮生(れんしょう / れんせい)と号した。
平家物語』「敦盛最期」の段における平敦盛との一騎打ちは、直実は敦盛とともにこの故事の主人公として、能の演目『敦盛』、幸若舞の演曲『敦盛』といった作品に取り上げられている。〔「平敦盛」田辺久子、「敦盛」増田正造『日本大百科全書(ニッポニカ)小学館。〕
== 生涯 ==

=== 前半生 ===
武蔵国大里郡熊谷郷(現在の埼玉県熊谷市)の出身。幼名を弓矢丸という。その名のとおり弓の名手である。幼い時に父を失い、母方の伯父の久下直光に養われた。保元元年(1156年)7月の保元の乱源義朝指揮下で戦い、平治元年(1159年)12月の平治の乱源義平の指揮下で働く。その後、久下直光の代理人として京都に上った直実は一人前の武士として扱われないことに不満を持ち、自立を決意し直光の元を去って平知盛に仕える。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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