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熊谷直盛 : ウィキペディア日本語版
熊谷直盛[くまがい なおもり]
熊谷 直盛(くまがい なおもり、生年不詳 - 慶長5年9月18日1600年10月24日))は、安土桃山時代武将大名豊後国安岐城城主。本姓は平。通称、内蔵介。別名、直陳。
== 生涯 ==
初め関白豊臣秀次に従い、武功をもって、後に豊臣秀吉に仕えた。豊後国安岐城城主18000石を領した。
慶長2年(1597年)の慶長の役朝鮮に渡り、目付として全羅道忠清道を転戦した。慶長3年(1598年)秀吉の訃報を知り、兵を撤収する直後、加藤清正黒田長政に私極を訴えられ、同4年(1599年)10月に国を除かれる。直盛は石田三成の妹婿にあたるため、その後は密かに佐和山城に居過ごす。
同5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こるに及び旧領安岐に復帰。叔父の熊谷外記を城代にし守衛する。自らは勢田橋の警護後、子の勝兵衛と共に大垣城に籠城するが、ともに守備をしていた相良頼房秋月種長高橋元種兄弟らの裏切りにより、垣見一直木村由信木村豊統父子らとともに親子ともども謀殺された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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